通常級→支援級へ転籍したADHD次男の話

発達障害児

入学前は「特に気になること」はなかった

現在小学3年生の次男Tくん。転籍から約2年経った今では毎日ニコニコ学校へ通っていますが、実は1年生の途中で通常級から支援級へ転籍しました。今日はその時のことを書いてみようと思います。

Tくんは保育園時代、とにかく明るくて愛嬌たっぷり。少し落ち着きのなさはあったものの、当時は「男の子だしこんなものかな?」という印象でした。

長男Pくんが自閉症児で、幼少期からかなり特性が強かったこともあり、正直Tくんにはそこまで困り感を感じていませんでした。そのため、小学校は自然な流れで通常級へ進学。私自身も「きっと大丈夫だろう」と思っていました。

夏休みの個人面談で知ったこと

転機になったのは、1年生の夏休み前の個人面談でした。先生から、

「休み時間にトイレで隠れて泣いていることが何度かありました」

と聞かされたんです。私はかなり衝撃を受けました。家では学校のことをそこまで話さなかったし、毎朝ちゃんと登校していたからです。

でも思い返せば、小学校へ入学してから夜驚症がかなりひどくなっていました。夜中に突然泣き叫ぶ。怖がる。暴れる。「環境の変化かな?」と思っていたけれど、実は学校でかなり無理をしていたのかもしれません。

本人の中ではずっと「できない」が積み重なっていた

あとから少しずつ本人の気持ちを聞けるようになって分かったのですが、Tくんは授業についていくことに強いストレスを感じていました。

Tくんはとにかくペースがのんびり。黒板を書き写そうとしてノートを出したところで、もうチャイムが鳴ってしまう。急いで書こうとしても文字を覚えられない。周りはどんどん進んでいく。でも自分だけ追いつけない。

本人の中では「なんで自分だけできないんだろう」という劣等感がどんどん大きくなっていたみたいです。

ADHDというと「落ち着きがない」というイメージが強いかもしれませんが、Tくんの場合は”処理速度のゆっくりさ”や”不器用さ”が学校生活のしんどさにつながっていました。

通級をすすめられたけれど、私はピンとこなかった

面談で学校からは「通級」をすすめられました。でも、正直その時の私はいまいちピンときませんでした。

Tくんの場合、ただでさえクラスのスピードについていけず苦しくなっている状態。そこにさらに週に数時間、別室で支援を受けたとして、本当に本人のしんどさは改善するんだろうか…?と思ったんです。

もちろん通級が合う子もたくさんいると思います。でもTくんの場合は、”部分的な支援”というより、学校生活そのもののペースが合っていないように感じていました。

見学へ行って感じた「違い」

その後、通級や支援級を見学させてもらいました。そこで私は、「あ、違う」とはっきり感じました。

支援級は時間の流れ方そのものが違ったんです。先生が一人ひとりのペースを見ながら進めていて、子どもたちも必要以上に急かされていない。Tくんには、この環境のほうが合うかもしれない。そう思いました。

そして私たちは、通級ではなく支援級への転籍に舵を切ることにしました。

転籍を決めてからの現実は、想像以上に大変だった

ただ、支援級への転籍を決めてからは、本当に怒涛の日々でした。

我が家の住む自治体では、翌年度の転籍希望の場合、書類提出の締め切りが8月末。気づけばもう7月後半。そこから急いで動き始めました。

発達検査を受けたくても、予約が取れない

まず必要だったのが発達検査と医師の意見書。でも、発達検査を受けられる病院へ片っ端から電話をしても、

「初診まで数ヶ月待ちです」「今予約すると来年になります」

そんな返答ばかりでした。発達外来の予約の取りづらさを、この時初めて知りました。時間がない。でも書類は必要。焦りながら、とにかく調べ続けました。

有料検査→一般クリニックへ

最終的に、まずは発達検査だけを有料で受けられる場所を探して検査を受けました。そしてさらに、小児科の中で児童精神科も診ている一般クリニックを見つけ、事情を説明。ありがたいことに8月中旬に診察を入れていただけることになり、検査結果を持参して書類を書いていただける流れになりました。

8月末の締め切りまで残りわずか。あの時は「間に合うかどうか」だけを考えて必死でした。

私自身が限界になってしまった

でも、その数週間。私はものすごい勢いでリサーチを続けていました。

支援級。通級。発達検査。就学相談。病院探し。制度。必要書類。

頭の中がずっとそのことでいっぱい。気づいた時には、完全にオーバーヒートしていました。

朝起き上がれない。何も考えられない。涙が止まらない。

結果的に、私は鬱症状が出てしまい、3ヶ月休むことになりました。今振り返ると、あの頃の私は「子どものためにちゃんとしなきゃ」と張り詰めすぎていたんだと思います。

それでも、なんとか書類を提出した

体調は限界だったけれど、なんとか必要書類をそろえて8月末に提出。そこから秋になり、少しずつ私の体調も戻ってきました。そして自治体の就学相談の面談が始まりました。

出会えた先生の存在に救われた

この時に出会えた児童精神科の先生が、本当に素晴らしい先生でした。Tくんの様子をしっかり見てくださって、

「この子は早めに支援級へ転籍したほうがいいと思います」

とはっきり意見書に書いてくださったんです。私はその言葉に、とても救われました。

親だけでは「本当にこれでいいのかな」「私の判断は間違ってないかな」とずっと不安だったからです。専門家の先生がTくんに必要な環境を理解してくださったことが、本当に心強かった。

そして最終的に、Tくんは1年生の3学期から支援級へ転籍することが決まりました。

支援級へ転籍して、少しずつ笑顔が戻ってきた

支援級へ入ってから、Tくんは少しずつ今までの笑顔を取り戻していきました。

朝の表情が違う。学校から帰ってきた時の空気が違う。以前のようなピリピリした感じや、「できない」で固まってしまう場面が減っていきました。

もちろん特性そのものがなくなったわけではありません。忘れ物もあるし、マイペースなところもそのまま。でも、”毎日ずっと緊張している状態”からは明らかに抜け出せたように感じました。

放課後等デイサービスの存在も大きかった

実はちょうどその頃から、放課後等デイサービスにも通い始めていました。

学校以外にも「安心できる場所」「自分のままでいられる場所」ができたことは、Tくんにとってとても大きかったと思います。スタッフさん達にもたくさん受け止めてもらい、学校とはまた違う形で成功体験を積ませてもらいました。

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そして不思議なくらい、夜もよく眠れるようになっていったんです。入学直後はひどかった夜驚症も、少しずつ落ち着いていきました。

療育センターへつながり、正式にADHDの診断を受けた

そして、あの時お世話になった小児科の先生が、地域の療育センターへの紹介状を書いてくださいました。あの時は転籍のことで頭がいっぱいだったので、「次につながる道」を作ってもらえたことも本当にありがたかったです。

ただ、療育センターの受診まではかなり時間がかかりました。予約待ちは約1年。発達関係の支援や医療の不足を、この時も強く感じました。

はっきりとADHDの診断が出た

長い待機期間を経て受診した療育センターで、Tくんは正式にADHDと診断されました。そこで服薬治療も始まりました。

薬については正直かなり悩みました。「小さいうちから薬を飲ませて大丈夫なんだろうか」「性格が変わってしまわないかな」。そんな不安もありました。

でも実際には、”無理やり大人しくさせる”という感じでは全くなく、本人が「困っている部分」を少し助けてもらう感覚に近かったです。

「できること」が本当に増えた

支援級への転籍。放課後等デイサービス。療育センター。服薬。そして本人自身の成長。

いろいろなものが重なって、Tくんは少しずつ「できること」が増えていきました。以前は難しかったことも、今では自分で工夫できる場面が増えました。

学校生活でも「怒られる経験」より「できた経験」のほうが増えていったように思います。何より、本人が明るくなりました。笑うことが増えて、自分の好きなことを楽しめるようになっていった。それが私は本当にうれしかったです。

環境って、本当に大事だった

今振り返ると、「本人の努力が足りなかった」わけでも、「甘えていた」わけでもなかったんだと思います。ただ、環境が合っていなかった。それだけで、子どもはこんなにも苦しくなってしまうんだと知りました。

逆に言えば、その子に合う環境へ変わることで、表情も、睡眠も、自己肯定感も、本当に変わっていく。私はTくんを通して、それを何度も実感しました。

もし今、通常級か支援級かで悩んでいる保護者の方がいたら、「今その子がどんな気持ちで毎日を過ごしているか」を大切にしてあげてほしいなと思います。

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